2009年 04月 12日
もうひとつのカウンター物語 2009 |
時は1994年。
ベトナムのホーチミン市にもカフェ・ヴォルール・ドゥ・フルールがあった。
勿論、初めての海外出店。しかも社会主義国家であり、市場に外国資本が
入り始めた頃の事、生活習慣だけでなく日本の常識は何一つ当てはまらない。
場所は今でもバックパッカーが集まるde tham通り。
日本人よりも欧米人が多かったが、いわゆる日本食屋とは違い、1Fには欧米人も利用しやすいカフェレストラン、2Fに東京の店を手本に1ヶ月掛けて半ば手作りの店を作り上げた。
日本の家庭料理をだす「おしん」を併設し、当時は中々入手できなかった日本のTV番組の「おしん」や「北の国から」などのビデオを揃え、日本人の駐在員や学生が集った。
時は流れて2009年。
2Fはアトリエになり、1FのLUCKY CAFEの奥には当時のカフェ・ヴォルール・ドゥ・フルールのカウンターが残っている。嵐の前の静けさの中、ca phe sua daをオーダーする。
冷たいベトナム珈琲はハノイよりサイゴンの方が俄然美味しいのだが、中でもLUCKY CAFEの
ca phe sua daはチョコレートのように濃厚な
こくと甘さが暑いサイゴンに似合う。
郷に入れば郷に従え。
ヴォルール・ブレンドもフルール・ブレンドも飲めない1ヶ月間の渇きも、このca phe sua daがあるからなんとか乗り切れる。
とはいえ、今、ここにカフェ・ヴォルール・ドゥ・フルール サイゴン店があったら、
と思うとホームシックのような、切ない気持ちにもなる。
ベトナムのホーチミン市にもカフェ・ヴォルール・ドゥ・フルールがあった。
勿論、初めての海外出店。しかも社会主義国家であり、市場に外国資本が
入り始めた頃の事、生活習慣だけでなく日本の常識は何一つ当てはまらない。
場所は今でもバックパッカーが集まるde tham通り。
日本人よりも欧米人が多かったが、いわゆる日本食屋とは違い、1Fには欧米人も利用しやすいカフェレストラン、2Fに東京の店を手本に1ヶ月掛けて半ば手作りの店を作り上げた。
日本の家庭料理をだす「おしん」を併設し、当時は中々入手できなかった日本のTV番組の「おしん」や「北の国から」などのビデオを揃え、日本人の駐在員や学生が集った。
時は流れて2009年。
2Fはアトリエになり、1FのLUCKY CAFEの奥には当時のカフェ・ヴォルール・ドゥ・フルールのカウンターが残っている。嵐の前の静けさの中、ca phe sua daをオーダーする。
冷たいベトナム珈琲はハノイよりサイゴンの方が俄然美味しいのだが、中でもLUCKY CAFEの
ca phe sua daはチョコレートのように濃厚な
こくと甘さが暑いサイゴンに似合う。
郷に入れば郷に従え。
ヴォルール・ブレンドもフルール・ブレンドも飲めない1ヶ月間の渇きも、このca phe sua daがあるからなんとか乗り切れる。
とはいえ、今、ここにカフェ・ヴォルール・ドゥ・フルール サイゴン店があったら、
と思うとホームシックのような、切ない気持ちにもなる。
by hanadoroboh
| 2009-04-12 01:49
| viet nam